今の世の中は、データドリブン全盛ですね。
仮説を立て、実行し、検証し、改善するというPDCAサイクルを高速に回し、無駄な工程を排除し、必要なものだけを残し最適化を図っていく。
業務を効率化することは、長時間労働の防止にもなりますし、効率化によってもたらされる利益については、誰も否定できないのではないでしょうか。
しかし一方で、PDCAサイクルの適用は、要不要の判断がつく場合、つまり同じことを何度もできる場合、スタートとゴールは決まっていて、その工程について検討する場合に有効な手法であり、誰もしたことのない未知を探求する場合には、必ずしも効果的ではないということを理解されていない場合があるように感じます。
その最たるものは、子育てではないでしょうか。
子どもにとって何が無駄で、何が無駄でないかは、誰にも判断できません。全く無駄に終わったと思う経験が、思いもよらず花開くこともあります。
我が家の子どもたちの例をあげるとすれば、子どもに出す食事です。
16年の間1年も空くことなく同じ保育園に通っているせいか、「後藤家の子供たちは乳児期は食が細いが、幼児期になるとモリモリ食べるようになる」という申し送りが、保育園の看護師さんの間でなされているそうです。長男から始まり、次男はそこそこ食べられましたが、長女、次女も0-2歳クラスではよく食事を残していたそうです。そして2歳になったばかりの三男も、ムラ食い全盛期で好きなものしか食べません。
この好きなものしか食べない時期は朝パンを出しても、ご飯を出しても残すことが多く、毎日残すのであれば出さなくてもいいんじゃないか?という、経済人的な思いに駆られます。
でも食べても食べなくても毎日出し続けていると、あれ?今日は一口食べたな、今日は半分は食べたな、という日が何日か続き、気づくと毎日完食できるようになり、もっとちょうだいという日も出てきたりします。
子どもの成長は一定ではなく、突然大きく動くことがあります。今まで自分が無駄なんじゃないかと思いながらしてきたことが、彼らの体の中でようやく溜まって、噴出してきたときはじめて、親はその効果を実感します。それまで溜まっていく過程は、残念ながら外からは確認することができません。
自分の頭で考えたくましく生きていく人間を世に送り出すという、ミッションを一番大事にしながら、日々忙しくても短期的な無駄や失敗を恐れず、子どもとの時間をチャレンジングに過ごしていきたいと思います。