はじめまして。フリーランスマーケターの後藤潤子です。
なぜ私が22年間のサラリーマン人生に幕を閉じ、フリーランスになったかを綴っていきたいと思います。
以前から個人起業に興味はあったものの、その一歩が踏み出せずにいました。
また事業を始めるには、物事に対する強いこだわりや、抜きに出た才能がないと難しいとも思っていました。
ではそんな私がなぜフリーランスとして、個人起業することになったか。
それは自分の限界を悟り、そこから新たな可能性を見出したからです。
プロフィールにも書かせていただいている通り、私は新卒で化粧品関係の商社に入社し、19年間化粧品・装粧品ブランドの販促やマーケティング業務を担当しました。1人で担当するブランドも、数十人で担当するブランドも関わることができ、日々「ものづくり」の繊細さと綿密さを学びました。
そしてその間4度の産育休を取得、4度の職場復帰を果たす間に、企業において産休取得までの道のりの何が大変で、休んでいる間の何に不安を感じ、復帰後の何がストレスなのか。語りつくせぬほどの多くの体験をすることに。
子育てをしていく中で、それまで以上に消費者として多くの消費体験や購買行動を経験し、真の消費者目線を身に着けたにも関わらず、業務においてそれらの知見が全くいかせないことに、とても違和感を覚え始めました。
そこで4番目の育休復帰後半年で、子育てとマーケティング、両方の経験がいかせる子育て情報系ITベンチャー企業へ転職。
その後第5子を授かり、出産。
産後4ヶ月で復職、乳飲み子を抱えながら高校に進学した長男の朝練時間の出発に合わせたお弁当作りというの新しいタスクも重なり、復帰の半年後には、鬱になるんじゃないかというところまで追い込まれました。
やはり5人も子供がいる女性が働くのは無理なんだ…あきらめるしかない…そう思ったとき、思いがけず職場の同僚や家族から「今までの経験がきっと何かにいかせる。必要としてくれる人はどこかに必ずいる。」という言葉をもらうことができました。
その言葉を信じ、今の自分のスキル・家族のライフステージ・将来かなえたい夢をもう一度客観的に整理し、未来予想図を描いたところ、思いがけず現れたのが「フリーランス」という選択肢です。
今までの分断されたキャリアは複合力という武器になり、複業という道でいかされる。
子育てに追われる限られた時間の中で、スローダウンしながらスキルアップする。
雇用関係ではなく、パートナーを探す。
人生100年時代に向けた細くて長い挑戦を開始しました。